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不登校と生活習慣の関係 親の違和感と本音

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不登校だから歯磨きしない?それって違うのでは?

最近、Yahoo!ニュースのトップページにあったこんな記事をよみました。

「お風呂に入らない、歯も磨かない不登校の子ども、大丈夫ですか?」という相談に対して、「はい、それが普通です」と答えている専門家の記事を目にしました。あえて言います。私はその答えに、どうしても納得できませんでした。

私は専門家ではありません。ただの、不登校の子を育てている一人の親です。でも、だからこそ、現場にいる親として見えることがあります。「私の本音」を書いてみようと思います。

この記事を読むと分かるポイント👇

  • 「歯磨きしないのは普通」と言われる背景への疑問

  • 不登校と生活習慣の乱れは別問題という視点

  • マズロー理論の限界と子どもに必要な支援

  • 親としてできる本質的なサポートのあり方

目次

不登校と生活習慣の乱れは、同じ問題じゃない

まず、冒頭の「お風呂に入らない」「歯磨きしない」などの問題と、「学校に行けない」という不登校の状態を、同じものとして語ることに違和感を覚えます。確かに、心が弱っている時に生活リズムが崩れるのは自然な流れではあります。でも、それを「不登校だから仕方ない」と一括りにしてしまうと、本質的な問題が見えなくなる気がするのです。

たとえば、大人でもうつ病になれば身だしなみが整えられなくなることはありますよね。でも、だからといって「歯磨きしないのは普通です」と言われたら、モヤっとしませんか?子どもにとって歯を磨かない、風呂に入らないことは、単なる“面倒”ではないケースもあります。そこに何があるのか。生活習慣が乱れている理由を「不登校だから」とまとめてしまっては、見落としてしまう部分もあるのではないでしょうか。

マズローの五段階欲求って、本当に子どもに当てはまる?

不登校の子どもを支援する現場では、「マズローの五段階欲求」という心理学の理論をよく耳にします。私も、子どもが不登校になってすぐの頃、学校のカウンセラーからこの理論を聞きました。「まずは生理的欲求が満たされることが大事です。そこが整っていないと、学校なんて行けるはずがありません」と。

そのとき私は、「なるほど、そういうものなんだ」と納得していました。食べる・眠る・清潔を保つなど、基本的な生活リズムが整うことが第一段階だという考え方。確かに一理あるように思えます。

しかし、あれから4年が経ち、私は今、この理論がそのまま子どもに当てはまるとは限らないと感じています。

なぜなら、マズローの五段階欲求は本来、大人やビジネスパーソンの自己実現や成長のプロセスを説明するために使われてきた理論であって、発達段階にある子どもの心をそのまま当てはめるには無理があるからです。

たとえばマズローの第一段階「生理的欲求」に含まれる「安全・安心」のような状態は、子どもにとって何を意味するでしょうか?
それは単に「ごはんが食べられて、夜眠れている」というだけではありません。

子どもにとっての“安心”とは、「自分の心を守れる力があること」「心が傷つく場面で自分を保てること」ではないでしょうか。
そのためには何よりも先に、「自分と他人は違う存在だ」ということを、理解し、受け入れていく必要があります。

第一段階で本当に教えるべきだったこと

私自身、子どもが小学校に上がったとき、マイペースな我が子に「みんなと同じペースでできるかな」「時間を守れるかな」「宿題はちゃんとやれるかな」といったことばかりを気にしていました。
しかし今思えば、それらは“社会的に適応しているように見せる”ためのスキルであって、心の中の土台とはまた別の話です。

本当に第一段階で教えるべきだったのは、「自分と他人は違う」「どんな子も違う背景や考え方を持っている」「誰とでも仲良くなる必要はない」「でも、誰かが何かを言ったときに、自分の心が壊れないように受け止め方を知ること」、そのような“違い”を理解し、“守り方”を身につけることだったと、今ならはっきり言えます。

日本の教育や集団文化には「同調圧力」が強く存在しています。
「みんなと仲良くしようね」「クラスみんなで一緒にやろう」という言葉がよく使われます。


でも、その前に、「みんな違う存在だよ」「違って当たり前だよ」という視点を持たせなければ、「仲良くすること」だけが先走ってしまい、結果として“仲良くできない自分”を責めたり、“うまく付き合えない相手”を拒絶したりするようになる。

「友達を何人つくれるか」じゃなく「どんな会話をして、どう感じたか」

不登校になる子の多くは、心がとても繊細で、人の言葉を深く受け止めてしまうタイプです。
たとえば、「〇ね」「うざい」「キモい」などの言葉を、悪気なく日常的に使っている子たちの中に放り込まれると、ものすごく苦しみます。


実際に意味を理解せず、ただゲームや動画で聞いたから真似ているだけということも多いです。
でも、言われた側はその重みを深く受け止めてしまい、「自分には居場所がない」と感じてしまう。

それに対して、「あの子は意味もわからず言ってるだけだよ」「君の価値が下がるわけじゃないよ」「傷つかなくていいんだよ」と伝えること。それが、本当の意味での“第一段階”だったのではないかと私は思います。

「今日は宿題ちゃんと出せた?」よりも、「今日は誰と、どんな会話をしたの?」「それを聞いて、どう感じた?」と聞いてあげることの方が、何倍も子どもの心を支える質問になると、今は確信しています。

保育園や小学校の頃から、すでに始まっていた見えない圧力

保育園の頃は、たとえクラスが20人程度でも、「あの子と遊びなさい」「みんな一緒に」と言われることが多くあります。
子どもは、「一緒にいる=仲良くしなきゃいけない」と思い込んでしまいます。
でも、実際にはどうしても合わない子がいたり、相手の言葉や態度が怖かったりすることもありますよね。

そのとき、「無理して仲良くする必要はないよ」「嫌な思いをしたら、それはちゃんと教えてくれていいんだよ」「誰もが“いい子”ではないし、悪気がなくても傷つく言葉を使ってしまう子もいる」と教えることが、もっと早くに必要だったのです。

それがないまま、「宿題はやったのか」「時間を守れたか」「忘れ物はなかったか」と、形式的な社会ルールばかりが先に来てしまう。
その結果、子どもたちは「うまくいかない自分=ダメな自分」と受け取ってしまうのです。

子どもが本当に最初に必要としているものは「違いを受け入れる力」

私が今になって痛感しているのは、不登校になる前のもっともっと前、たとえば小学校低学年あたりから本当に必要だったのは、「他人と自分は違う」という視点を持たせることでした。

「どうして〇〇くんみたいにできないの?」「普通はそれぐらいできるよね?」—— こんな言葉が、知らず知らずのうちに子どもの心を追い詰めていたのだと思います。

たとえば、ある日学校で、子どもがゲームの話をしていたとします。その中で、「お前、マジでキモいんだけど」なんていう言葉を、悪気なく投げかける子がいる。ゲーム内でよく聞く言葉だから、使ってもいいと思ってしまっている。でも、言われた子は、それを言葉どおりに受け取って、ものすごく傷つく。

この「違い」を教えることが、なによりも大切だったのだと、今なら思います。

自分と他人は違う、それは大前提にすべきことだった

子どもが「なんでこの子はこういうことを言うんだろう」と思ったとき、「その子はきっと、意味もわからずに言っているだけなんだよ」「君のことを傷つけたかったわけじゃないんだよ」と教えてあげること。

もっと言えば、「世の中にはいろんな人がいる」「そのすべてと無理に分かり合わなくてもいい」ということを、最初に教えるべきだった。

たとえば、ある子が「ブス」とか「〇ね」とか、学校の廊下ですれ違いざまに平気で言ってくるとします。そんな言葉、普通に受け止めたら誰だって傷つきます。でもその時、「あ、この子はその言葉の重みを知らないんだな」と思える視点を持っていれば、自分の心が壊れることは防げたかもしれない。

私たち親が「勉強についていけるか」「宿題を忘れないか」「時間を守れるか」などの“形式的な社会性”を重視するあまり、本当に必要な“心の土台”を伝えそびれてしまったのではないかと感じています。

親もまた「今日も大丈夫かな」と震えながら送り出している

そして何より、親の私たちだって、不登校になりかけている我が子を学校に送り出すたびに「今日も心が壊されなければいいけど」と不安に押し潰されそうになっている。

明るく「いってらっしゃい」と言っても、内心は震えている。昨日も辛そうだった、今朝もなかなか布団から出てこなかった。きっと心は限界なんじゃないかってわかっている。でも、それでも「今日こそは」と願って送り出している。

そういう毎日を重ねる中で、「お風呂入らないのは普通です」と言われたって、「え?」って思うんです。そこじゃない、って。

不登校は、家庭だけでは抱えきれない

不登校は、子どもだけの問題でも、親だけの問題でもありません。学校も、社会も、そして私たち同士も、もっと手を取り合わなければならない時代です。

なぜなら、親も孤独だからです。

誰にも本音を言えず、SNSでさえ気を使って、「うちは大丈夫です」と言い続けて、心の中で泣いている親がどれだけいるでしょうか。

同じ経験をした親子同士が繋がれる場所が必要だと思う

だから私は思います。

不登校の親子が、安心して繋がれる場所が必要です。学校に行っていなくても、生活が少しくらい乱れていても、「それでもいい」と思えるような場所。

たとえば、月に一回だけでも、同じような悩みを持つ親が集まって話せる場所。あるいは、子どもたちが「今日は誰にも否定されずに過ごせる」と感じられる空間。そういった場所が、もっと日常の中にあってほしい。

私たち親も、決して「こうあるべき」にとらわれず、「今はこれでいいんだよ」と言い合える場が欲しいと思っています。

子どもの心を置き去りにしていた言葉たち

私が本当に悔やんでいるのは、子どもが苦しいと感じ始めていた時期に、私自身も「ちゃんとしなさい」「周りに迷惑をかけないように」と、子どもの“心の声”ではなく“行動の整い方”ばかりを見ていたことです。

わが家の場合、保育園では20人ほどのクラスで先生の目も行き届いていましたし、何よりも家庭的な雰囲気の中で「一人ひとり違う」ということを、無意識のうちにでも受け止めてもらえていたのだと思います。

ところが、小学校に進学すると一気に35人という人数に増え、先生が一人で全員を見なければならなくなりました。
当然、集団を統率する必要があるため、「先生の話をしっかり聞きましょう」「みんなと同じように行動しましょう」という指導が入ります。
私もまた、家で「先生の話はよく聞いてね」と何の疑問も持たずに言っていました。

でもある日、子どもがポツリとこう言ったのです。

「勉強する気がないなら、家に帰りなさいって言われた」
「そんななら幼稚園に戻ったら?って言われた」

言われても仕方ないと思っていたのか、私に打ち明けたのは数年経ってからでした。

実際に何を言われていたか、親は知らなかった

それまでは「先生はきっと、子どものためを思って言ってくれているはず」と思っていました。
でも、現実には子どもは学校で、自尊心を揺るがすような言葉を投げられていた。

もちろん、先生も人間です。クラス全体を見ながら個別対応をするのは本当に難しいことですし、すべての先生がそうではないことも理解しています。

ただ、問題は「子どもがどう受け取ったか」「その言葉をどう受け止め、どんな気持ちになったか」を、私はまったく知らず、想像しようともしなかったことです。

その言葉に対して、「そんなこと言われたの?辛かったね」と共感することもせず、
「でも、先生の言うことだからちゃんと聞かないと」と、自分の不安を優先して言葉をかけていた。

知らず知らずのうちに、「子どもの心よりも、大人のルールを優先してしまった」のです。

“ちゃんとしなきゃ”の呪縛が、子どもの心を追い込んでいた

「みんなと同じように行動しなきゃ」
「周りに迷惑をかけちゃいけない」
「先生に注意されるようなことをしちゃダメ」

私たち親は、こうした言葉を“社会で生きていくためのマナー”として自然に使ってしまいます。
けれど、それがどれだけ子どもの心を締めつけていたかを、当時は見ようとしなかった。

たとえば、教室で誰かに嫌なことをされた。
でも、その相手は“問題のない子”で、むしろ先生のお気に入りだった。
だから「自分が悪いのかな」「きっと僕がちゃんとしてないから」と思い込む。

そうやって、どんどん心がすり減っていくのに、家に帰れば「宿題は?」「忘れ物はなかった?」と、また“行動”を問われる。

そのたびに子どもは、「自分の気持ちはどうでもいいんだ」と思ってしまう。

子どもが必要としていたのは「そのときどう感じたか」を聞いてほしいということ

今、もしあの頃に戻れるなら、私は子どもにこう聞くと思います。

「今日は誰と話したの?」
「どんな会話をした? そのとき、どんな気持ちだった?」

たとえば、「先生に怒られた」と言ったら、「それは悲しかったね」と受け止める。
「できなかったことが恥ずかしかった」と言ったら、「そう感じるのは当たり前だよ」と寄り添う。

そういう対話こそが、子どもにとっての“安心の土台”になるのだと、今は思います。

そして何より、「先生の言うことをよく聞いてね」ではなく、「先生だって間違えることもあるし、その言葉をどう感じたかを大事にしていいんだよ」と伝えられていたら、子どもはもっと自分の心を大切にできたかもしれません。

まとめ

「不登校の子どもはお風呂に入らなくても普通です」と言われてモヤっとしたのは、私だけではないはずです。そこではなく、子どもが不登校になるもっと前に必要だったのは、「人はそれぞれ違う」という視点でした。

その視点を親が持ち、子どもに伝えられていたら、子どもが受ける心の傷の深さは少し違っていたかもしれません。

不登校の悩みは複雑で、正解がありません。でも、共感し合える場所、同じ経験をした人と話せる時間。それだけで、少しずつ前を向けることもあります。

この文章が、今悩んでいるどこかの親御さんの、心の灯になれたなら嬉しいです。

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