毎朝くり返される、あの質問…「今日、学校どうする? 行く? 休む?」
当時の私は、毎朝のようにこの言葉を口にしていました。
子どもの顔色をうかがいながら、恐る恐る、でも聞かずにはいられない。
- 行くと言ってほしい親の気持ち
- でも、無理をさせたくない気持ち
- このままでいいのか分からない不安
その全部を抱えたまま、「行く? 休む?」を繰り返していた時期があります。
この記事は、
不登校の途中経過にいるひとりの親として、朝の“行く・休む問題”に私がどう限界を感じ、そこから何を変えたかを整理した記録です。
「正解」を示すものではありません。
ただ、同じように毎朝の会話に疲れきっているどなたかの、少しでも気持ちの整理のヒントになればうれしいです。

「行く? 休む?」の始まりは、たった1日から
我が家の場合は兄弟でタイプが違うのですが、2人共最初から急に行かなくなったわけではなく、「なんとなく調子の悪い日」「今日はちょっと…」から始まりました。
- 「頭がいたい」
- 「お腹が痛い」
- 「眠い」
- 「なんか行きたくない」
最初のうちは、私も
「そういう日もあるよね。では給食だけ行く?」
と、わりと軽く考えていました。
でも、それが週に1日、週に2日と確実に少しずつ増えていきました。
そして、学校に車で送って行き‥行きたくないと学校の駐車場で30分~1時間過ごすことも増え、泣きならが先生に連れて行ってもらう日が増えてきました。
親の頭の中で鳴り続ける「このままでいいの?」の声
遅刻や欠席の回数が増えるほど、私の中でこんな声が大きくなっていきました。
- 「このままだと完全に行けなくなるんじゃないか」
- 「今、ここで甘えさせずに踏ん張らせるべきなのでは?」
- 「こんなに泣いてまでも行かせてるけど、これを乗り越えればまた行けるようになるのか?」
何が正しいか分からないまま、
「今ここで間違えたら、一生を左右してしまうかもしれない」という怖さだけが大きくなっていきました。
その不安の中で、私は朝になると子どもに聞かずにはいられなくなりました。
「今日、学校行けそう? 行く? 休む?」
子どもの表情と言葉の間にあるもの
「行く? 休む?」と聞いたときの、子どもの反応はいつも同じではありませんでした。
- うつむいたまま、小さな声で「うーん…」と唸る
- 「行く」と言いながら、布団からなかなか出てこない
- 「無理」とだけ言って、布団をかぶる
- 「行く」と言って車で送って行ったけど、車の中から出られない
そのたびに、私の頭の中では
- これは“行けない”なのか、“行きたくない”なのか
- 今日は本当に体調が悪いのか、心のSOSなのか
- どこまでが「休ませた方がいいライン」なんだろう
と、判断のつかない問いがぐるぐる回りました。
「子どものため」のつもりが、いつの間にか“自分の安心”のために
ある朝、いつものように
「行く? 休む?」
と聞いたとき、子どもはしばらく黙っていました。
私はその沈黙が怖くて、続けざまに言葉を重ねてしまいました。
- 「昨日は休んだよね?」
- 「今日は行けそう?」
- 「給食からでもいいし」
- 「行ってみて、ダメだったら呼ぶっていうのはどう?」
今思えば、完全に“追い詰める側”の言葉でした。
子どものためというより、
「親として何か言わなきゃ」「選択させなきゃ」という、私自身の焦りをぶつけていただけだったのだと思います。
そのとき、子どもがポツリと言いました。
「ねえ、なんで毎日それ聞くの?
どっち選んでも怒られる気がする…」
その一言で、胸がぎゅっと苦しくなりました。

私が限界を感じた瞬間:「もう、これ以上続けられない」
子どもの「どっちを選んでも怒られる気がする」という言葉は、私にとって大きな“鏡”のようなものになりました。
- 行くを選んだら
→「えらいね、行けるじゃん」と期待される - 休むを選んだら
→「また?」と言われそうで怖い
子どもにとってあの質問は、
「今日はどうしたい?」ではなく「親にとって“正解”を選べ」というプレッシャーになっていたのだと気づきました。
その日、私は心の中でこう思いました。
「あ、私のほうがもう限界かもしれない」
子どものために頑張ろうと、実は一番追い詰めていたのは私自身だったのかもしれません。
「行く? 休む?」をやめる、と決めた日
その日を境に、私は朝の声かけを変えることにしました。
やめたこと
- 「行く? 休む?」と選択を迫る聞き方
- その日のうちに結論を出させようとすること
- 「今日こそは行けるかな?」と期待をにじませること
始めたこと
- まず「今日はどう?」と、体調や気持ちを聞くこと
- 子どもの様子を見て、「今日はやめておこうか」とこちらから提案する日をつくること
- その日に学校に行けたかどうかだけで、1日を評価しないこと
もちろん、すぐにうまくいったわけではありません。
こっちも怖いので、つい口が勝手に「行く?」と言いそうになることもありました。
それでも、「あの質問でお互いが疲れ切っていた」という自覚を持てたことで、
少しずつ、“戦いのような朝”から、“状況を一緒に確認する朝”に変わっていきました。
「決めさせる」のではなく「一緒に状況を見る」というスタンスへ
その時は、完璧ではないけれど、こんな流れを意識していました。
① まずは事実だけを確認する
「昨日の夜はよく眠れた?」
「体調どう?」
「今、どんな気持ち?」
良い悪いの評価を入れず、
「今、ここ」の状態を一緒に見に行くイメージです。
② 私のほうから提案する日をつくる
全部を子どもに決めさせるのではなく、親側からこう言う日も作るようにしました。
「今日は、しんどそうだから、休む予定でいいんじゃない?」
「今日は一回行ってみて、ダメなら早退でもいいよ」
「どっちにする?」よりも
「こういう選び方もあるよ」と、一緒に考える形にすることで、“テストの正解を当てる感じ”から少し離れられた気がします。 ただ、私は在宅仕事だったのでこれが出来ましたが、そうでない方は給食だけ、や、無理だったら迎えに行く、という選択は難しいですよね。子供が不登校になり働き方を変えたという方は非常に多いと思います。在宅で仕事を考えている人には次のような情報も役に立つと思います。👉

③ 「今日はどうだった?」より「今日も一緒に乗り切ったね」
一日が終わったときに、当時の私は
「今日は行けてよかったね」
「今日は行けなかったね…」
と、“行けたかどうか”だけで一日の価値を決めてしまいがちでした。
でも大切なのは
「今日も一緒にここまで来たね」
「今日はしんどい中で、よくここまで話してくれたね」
という声かけだったのだと思います。
親子で“結果”ではなく“プロセス”を見る練習は大切だと感じます。
毎朝の「行く? 休む?」に疲れ切っている親御さんへ
もし今、この記事を読んでいるあなたが、毎朝のように「行く? 休む?」を聞き続けて、メンタルがボロボロになっているとしたら。
まず、こうお伝えしたいです。
あなたが疲れているのは、
「頑張っていないから」ではなく、「それだけ頑張ってきたから」です。
- 子どもの様子を必死に見ていること
- 正解が分からない中で、毎日決断してきたこと
- 誰かに責められる前に、自分で自分を責めてしまうこと
それは全部、「子どものことを大事に思っているから」こそ起こることだと思います。
「質問をやめる」ことは、「投げ出すこと」ではない
私自身、朝の質問を変えようと決めたとき、
「義務教育の義務を投げ出してしまうんじゃないか」
という怖さがありました。
でも今は、
- あの質問をやめたからこそ、見えてきた子どもの表情がある
- あの質問をやめたからこそ、私自身が冷静さを少し取り戻せた
そう感じています。
「行く? 休む?」という聞き方をやめることは、親としての責任を投げ出すことでも、子どもを見放すことでもありません。
ただ、
「このやり方だと、親の私も子どもも擦り切れてしまうから、
別のやり方を試してみよう」
と方向を少し変えてみる、そんな選択肢の一つだと思います。
最後に:今、悩んでいる“途中”のあなたへ
不登校や行きしぶりは、ニュースのデータでは「人数」や「件数」として語られがちですが、
実際にその渦中にいると、
「我が子」と「私」と「今日1日」で精一杯だと思います。
- 明日のことを考える余裕なんてない
- 一週間先なんて想像したくもない
- 1年後のことを考えると、胃がキリキリする
そんな感覚のまま、朝だけがやってくる。「だからこうすれば大丈夫です」という結論はありません。
私自身、まだ途中だからです。でも私は無理に頑張るのを辞めてよかったと思っています。学校から離れることはとっても勇気のいることですが、泣き叫び行きたくないと言う子を無理矢理行かせても結果は同じでした。同じ以上に逆に悪化させてしまいました。それから4年‥今次男は毎日朝から給食まで学校の別室ですが行っています。今は「休みたくない」と言うほどです。この先がどうなるかは分かりませんが、大切なのは親の体裁でも、近所の目でも、先生の言う通りにすることでもなく、我が子が元気でいられるには‥の選択かもしれません。
この記事を読んで
「毎朝の行く・休む問題でつかれきっているのは、私だけじゃないんだ」と、
少しでも感じてもらえたならうれしいです。
そして、いつかどこかで、
「あの頃、毎朝“行く? 休む?”って聞いてたなぁ」
と、笑って振り返る日が、あなたとお子さんにも訪れますように。
